この記事の案内
1. 浅草寺・羽子板市について
羽子板市は、東京・浅草寺で毎年12月17日〜19日に行われる年末恒例の市で、「歳の市」や「納めの観音」とも呼ばれる行事であることが分かります。
正月に使う羽子板を中心に販売され、江戸時代から続く伝統的な年末行事であることがわかります。
2. 「歳の市」「納めの観音」について
「歳の市」とは、新年を迎えるための準備をする年末の市を指し、「納めの観音」はその年最後の観音様への参拝日であることが分かります。
一年の無事を感謝し、来年の幸福や家内安全を願う節目の行事として親しまれてきたことが分かります。
3. 羽子板市の特徴などについて
境内には多くの露店が並び、縁起物としての羽子板や装飾性の高い押絵羽子板が販売されることが分かります。
年末らしい賑わいの中で、参拝・買い物・江戸文化の雰囲気を同時に楽しめる行事であることが分かります。
はじめに
2025年12月18日。
今日は、東京・浅草寺で開催される年末恒例行事「歳の市・納めの観音羽子板市」の様子をお伝えします。
冬の冷たい空気が張りつめる浅草。朝の境内では、吐く息が白く、足音が石畳に静かに響き始めます。まだ日が高くない時間帯にもかかわらず、人々は自然と浅草寺へと足を向けています。
その理由は、ただの観光ではありません。
この日、この場所に来ること自体が、日本人にとって特別な意味を持っているからです。
やがて視界いっぱいに広がるのは、所狭しと並べられた色とりどりの羽子板です。
赤や金、白を基調にした華やかな装飾が施され、光を受けてきらめく姿は、まるで冬の浅草に咲く花のようにも見えます。
一枚一枚が異なる表情を持ち、同じものは二つとしてありません。
イベントが始まると、境内の空気は一変します。
露店からは威勢の良い掛け声が響き、人々の笑顔が行き交い、あちこちでシャッター音が鳴り始めます。
年末特有の慌ただしさと、どこか懐かしく温かい空気が入り混じり、浅草寺は一瞬にして「年の瀬の熱気」に包まれます。
しかし、この羽子板市は単なる縁日ではありません。
無事に一年を終えられたことへの感謝と、これから迎える新しい一年への願いを形にする、日本ならではの年末行事です。
浅草寺は観音信仰の中心地として長い歴史を持ち、人々は年の終わりに「納めの観音」としてこの地を訪れ、心を整えてきました。
江戸時代から続くこの風習は、形を変えながらも今に受け継がれています。
羽子板を眺め、選び、手に取る。その行為の一つ一つが、年末という節目を実感させ、人々の気持ちを静かに年越しへと導いていくのです。
では、なぜ人々は寒さの中でもこの日に浅草寺を訪れるのでしょうか。
そこには、羽子板市だからこそ感じられる「年末の意味」があります。
要点
浅草寺の「歳の市・納めの観音羽子板市」は、
一年の感謝を形にし、新年への願いを託す、日本の年末文化を象徴する行事です。
羽子板市と聞くと、色鮮やかな羽子板が並ぶ賑やかな縁日を想像する方も多いでしょう。
しかし、その本質は単なる年末イベントや買い物の場ではありません。
羽子板を選び、手に取り、家へ持ち帰るという一連の行為は、「一年をきちんと締めくくるための儀式」と言えます。
羽子板は、正月遊びである羽根突きに使われる道具として知られていますが、長い年月の中で「厄を打ち払う縁起物」としての意味を持つようになりました。
その羽子板を年の終わりに求めることは、過ぎ去った一年への感謝と、これから始まる一年への祈りを同時に行うことを意味しています。
また、この行事が浅草寺で行われることにも大きな意味があります。
浅草寺は、古くから観音信仰の中心として多くの人々の拠り所となってきました。
「納めの観音」とは、その年最後の観音参りを指し、一年の無事を報告し、新しい年の加護を願う大切な節目です。
羽子板市は、その信仰の流れの中で自然に根付いてきた行事なのです。
この日、浅草寺を訪れることそのものが、新年を迎えるための心の準備となります。
忙しさの中で過ぎていく年末に、あえて足を止め、一年を振り返る時間を持つ。
その行為が、人々に区切りを与え、新しい一年へ向かう気持ちを整えてくれます。
つまり、浅草寺の羽子板市は、
「一年を終える場」であり、「一年を始める心を整える場」 でもあるのです。
この二つの役割を同時に担っている点こそが、江戸時代から現代まで人々を惹きつけ続ける最大の理由だと言えるでしょう。
理由
では、なぜ浅草寺の羽子板市は、これほどまでに「年末の行事」として大切にされ、今も多くの人々を惹きつけ続けているのでしょうか。
その理由は、大きく分けて三つあります。
一つ目の理由:羽子板が持つ「厄除け・魔除け」の意味
羽子板は、もともと正月に行われる遊び「羽根突き」に使われる道具でした。
羽根突きは、単なる遊戯ではなく、子どもの健やかな成長を願う行事として広く親しまれてきました。
羽根の先端には黒い玉が付いていますが、これは「無患子(むくろじ)」と呼ばれます。
この名称には、「患い(わずらい)が無い」「病にかからない」という意味が込められており、古くから縁起の良いものとされてきました。
羽根を突くたびに、邪気や厄を打ち払う――そうした考え方が、自然と人々の暮らしに根付いていったのです。
やがて、羽子板そのものが「厄を払う象徴」として認識されるようになり、正月に欠かせない縁起物へと変化していきました。
特に江戸時代以降は、実用の道具としてだけでなく、飾って福を招く存在としての意味合いが強まっていきます。
年の終わりに羽子板を求めるという行為は、過ぎ去った一年の厄を払い、新しい年を清らかな気持ちで迎えるための準備でもあります。
この「目に見える形で厄除けを行う」という分かりやすさが、羽子板市を年末行事として定着させた大きな理由の一つです。
二つ目の理由:「年の終わり」に行われる行事であることの意味
浅草寺の羽子板市は、「歳の市」そして「納めの観音」と呼ばれます。
この言葉が示す通り、この行事は一年の締めくくりに位置づけられています。
日本人は古くから、季節の節目や年の変わり目を非常に大切にしてきました。
一年を無事に過ごせたことに感謝し、来る年の無病息災や家内安全を願う。
その気持ちを形にする場として、年末の寺社参りは重要な役割を果たしてきました。
浅草寺は、東京を代表する観音霊場として長い歴史を持っています。
人々は年の最後に観音さまへ参拝し、一年の出来事を心の中で振り返り、感謝を捧げてきました。
これが「納めの観音」です。
羽子板市は、その流れの中で自然に結びついた行事と言えます。
参拝を終えた後に羽子板を選ぶことは、単なる買い物ではなく、「今年を納め、来年を迎える」という心の区切りを明確にする行為なのです。
年末はどうしても慌ただしくなりがちですが、この行事に参加することで、人々は一度立ち止まり、自分自身の一年と向き合う時間を持つことができます。
その役割こそが、羽子板市が今も続く理由の一つです。
三つ目の理由:人と人をつなぐ「場」としての役割
浅草寺の羽子板市は、単なる物の売買の場ではありません。
そこには、人々の記憶や習慣、そして人と人とのつながりが積み重なっています。
家族で毎年訪れる人。
子どもの成長に合わせて羽子板を買い替える人。
決まった店で、決まった職人の羽子板を求める常連客。
こうした人々の行動は、個人の思い出であると同時に、地域の文化そのものでもあります。
浅草という土地は、江戸時代から庶民文化の中心地として栄えてきました。
寺社を核に、人々が集い、語り合い、行事を共有する。
その文化が、羽子板市にも色濃く反映されています。
「毎年同じ場所に集う」という行為は、時間の流れを実感させます。
去年と同じ景色を見ながらも、そこに立つ自分は少し違う。
そうした感覚が、年末という節目をより強く意識させ、日本人の暮らしに一定のリズムを与えてきたのです。
このように、羽子板市は
厄除けの象徴であり、年末の区切りであり、人と人を結ぶ文化の場という三つの役割を同時に担ってきました。
その重なりこそが、この行事が長く受け継がれてきた最大の理由なのです。
具体例
では、浅草寺の「歳の市・納めの観音羽子板市」が、実際にはどのような光景なのかを、もう少し具体的に見ていきましょう。
羽子板市の期間中、浅草寺の境内や参道には数多くの露店が軒を連ねます。
早朝から準備を始める店も多く、日が高くなるにつれて人の流れは一気に増していきます。
境内を歩くと、視界の左右にずらりと並ぶ羽子板が目に飛び込んできます。
その数と華やかさは、初めて訪れる人にとって圧倒的に感じられるほどです。
並べられている羽子板は、実に多種多様です。
歌舞伎役者の勇ましい表情を立体的に表現したもの、華やかな振袖姿の女性をあしらったもの、縁起物として人気のある吉祥文様を取り入れたものなど、どれ一つとして同じものはありません。
近年では、その年の話題や時代性を反映した意匠が取り入れられることもあり、羽子板市は「その年らしさ」を感じ取れる場にもなっています。
こうした羽子板の多くは、「押絵羽子板」と呼ばれる技法で作られています。
布や綿を重ねて立体感を出し、細部まで丁寧に仕上げられた姿は、もはや遊び道具の域を超えた工芸品と言えるでしょう。
一つの羽子板には、職人の長年の経験と技が凝縮されており、近くで見ると、その細やかさに思わず足を止めてしまいます。
また、羽子板市の大きな魅力の一つが、露店でのやり取りです。
羽子板が売れると、店先では威勢の良い掛け声とともに手締めが行われます。
周囲の人々も自然と拍手を送り、その場の空気が一体となります。
この光景は、浅草寺の羽子板市を象徴する名物の一つであり、年末らしい高揚感を強く感じさせてくれます。
「よいお年を」
この一言は、単なる年末の挨拶ではありません。
売り手から買い手へ、一年の労をねぎらい、新しい年の幸せを願う気持ちが込められています。
羽子板を受け取る瞬間は、縁起物を手にしたという実感とともに、新年への期待が自然と膨らむひとときでもあります。
会場を見渡すと、訪れている人々の表情は実にさまざまです。
子どもに持たせる羽子板を真剣な表情で選ぶ親の姿。
友人同士で写真を撮りながら楽しむ若者たち。
毎年同じ日に訪れ、同じ店で羽子板を買うという常連客も少なくありません。
観光客の姿も多く見られますが、そこには「観光地のイベント」という雰囲気だけではなく、生活に根付いた行事としての落ち着きがあります。
浅草寺という場所が持つ歴史と信仰の重みが、賑わいの中にも自然と感じられるからでしょう。
こうした光景の一つ一つが重なり合い、浅草寺の羽子板市は「その年だけの特別な記憶」として人々の心に刻まれていきます。
写真や映像では伝えきれない、音や空気、人の気配。そのすべてを含めて体験することが、この行事の本当の価値なのかもしれません。
まとめ
浅草寺の「歳の市・納めの観音羽子板市」は、
一年を無事に終えられたことへの感謝と、新しい一年への願いを同時に行う、日本ならではの年末行事です。
羽子板は、もともと正月遊びの道具として親しまれてきましたが、時代とともに「厄を打ち払い、福を招く縁起物」としての意味を深めてきました。
その羽子板を年の終わりに求めるという行為は、単なる買い物ではなく、自分自身の一年を振り返り、来年への思いを形にする行為と言えます。
また、この行事が浅草寺で行われることにも大きな意味があります。
観音信仰の中心として長い歴史を持つ浅草寺は、多くの人々にとって「願いを託す場所」であり続けてきました。
「納めの観音」として一年の締めくくりに参拝することで、人々は心の中で感謝と祈りを整理し、新年を迎える準備を整えてきたのです。
羽子板市の賑わいの中には、江戸時代から続く庶民文化の息遣いが今も確かに感じられます。
職人の技が息づく押絵羽子板、威勢の良い掛け声と手締め、そして「よいお年を」という一言に込められた思い。
それらはすべて、人と人とをつなぎ、年末という節目を共有するための大切な要素です。
忙しさに追われがちな現代の年末だからこそ、このような行事に身を置くことには大きな意味があります。
スマートフォンや時計を気にする時間から少し離れ、境内の空気や人々の表情に目を向けることで、自分自身の一年を静かに見つめ直すことができます。
もし年末に浅草を訪れる機会があれば、ぜひ羽子板市の空気を感じてみてください。
色とりどりの羽子板、人々の笑顔、掛け声が行き交う境内。
そのすべてが、「新しい一年を迎える準備はできていますか」と、そっと問いかけてくれるはずです。
浅草寺の羽子板市は、過去から現在、そして未来へと続く「年末の時間」を、今も変わらず私たちに手渡してくれる存在なのです。
キャリアアップ
December 18, 2025.
2025年12月18日。
Today, we’ll be reporting on the “New Year’s Market/Osame Kannon Hagoita Market” held at Sensoji Temple.
今日は、浅草寺で開催される「歳の市・納めの観音羽子板市」の様子をお伝えします。
Imagine it.
想像してみてください。
In winter in Asakusa, the temple grounds are covered with colorful hagoita.
浅草の冬、境内には、色とりどりの羽子板が敷き詰められています。
Just a few seconds after the event begins, the air is filled with the excitement of the end of the year.
イベント開始からわずか数秒後、年末の熱気に包まれます。
The hagoita market is an end-of-year event where people give thanks for the safe passage of the year and pray for good health and safety for their families in the year ahead.
この羽子板市は、無事に一年を終えられたことへの感謝と、これから一年の無病息災、家内安全を祈願する年末の行事です。
It’s a winter tradition in Asakusa that has continued since the Edo period.
江戸時代から続く、浅草の冬の風物詩です。
The hagoita lined up at the stalls are decorated with kabuki actors and auspicious ornaments, making them seem like moving works of art.
露店に並ぶ羽子板は、歌舞伎役者や縁起の良い装飾が施され、まるで動く芸術作品のようです。
Each one is imbued with a wish to ward off evil.
一つ一つに「厄除け」の願いが込められています。
Just imagine it.
ぜひ想像してみてください。
The smiling faces of the people, the energetic shouts, and the atmosphere of Asakusa at the end of the year.
人々の笑顔、元気な掛け声、そして年末の浅草の雰囲気。
Visiting Sensoji Temple on this day is also a way to prepare yourself for the new year.
この日に浅草寺を訪れることは、新年への心構えでもあります。
The seasonal vegetable is garland chrysanthemum.
旬の野菜は春菊。
Thank you for breakfast.
朝食ありがとう。
Thank you for your support and ratings.
応援と評価、宜しくお願い致します。


