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芥川竜之介『杜子春』、青空文庫

杜子春 日本語記事
杜子春

はじめに

 作者(さくしゃ)は、本当(ほんとう)幸福(こうふく)は、財産(ざいさん)超人的(ちょうじんてき)(ちから)ではなく、(ひと)としての(こころ)大切(たいせつ)にすること、つまり人間(にんげん)らしい感情(かんじょう)()って()きることにあると(つた)えたかったのではないでしょうか。

 (ひと)としての(こころ)(うしな)わずに()きることの大切(たいせつ)さ、そして感情(かんじょう)愛情(あいじょう)()つことの(とうと)さを(つた)えようとし、それは、外面的(がいめんてき)成功(せいこう)精神的(せいしんてき)(さと)りよりも、もっと身近(みぢか)(あたた)かい人間(にんげん)本質(ほんしつ)大事(だいじ)にすることの大切(たいせつ)さを()いているように(かん)じられます。

芥川龍之介(ウィキペディア)

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芥川竜之介作『杜子春』

 (ある)(はる)日暮(ひぐれ)です。
(とう)(みやこ)洛陽(らくよう)西(にし)(もん)(した)に、ぼんやり(そら)(あお)いでいる、一人(ひとり)若者(わかもの)がありました。
若者(わかもの)()杜子春(とししゅん)といって、(もと)金持(かねもち)息子(むすこ)でしたが、(いま)財産(ざいさん)(つか)(つく)して、その()(ぐら)しにも(こま)(くらい)(あわれ)身分(みぶん)になっているのです。

 (なに)しろその(ころ)洛陽(らくよう)といえば、天下(てんか)(なら)ぶもののない、繁昌(はんじょう)(きわ)めた(みやこ)ですから、往来(おうらい)にはまだしっきりなく、(ひと)(くるま)(とお)っていました。(もん)(いっ)ぱいに(あた)っている、(あぶら)のような夕日(ゆうひ)(ひかり)(なか)に、老人(ろうじん)のかぶった(しゃ)帽子(ぼうし)や、トルコの(おんな)(きん)耳環(みみわ)や、白馬(しろうま)(かざ)った色糸(いろいと)手綱(たづな)が、()えず(なが)れて()容子(ようす)は、まるで()のような(うつく)しさです。
しかし杜子春(とししゅん)相変(あいかわ)らず、(もん)(かべ)()(もた)せて、ぼんやり(そら)ばかり(なが)めていました。(そら)には、もう(ほそ)(つき)が、うらうらと(なび)いた(かすみ)の中に、まるで(つめ)(あと)かと(おも)(ほど)、かすかに(しろ)(うか)んでいるのです。

()()れるし、(はら)()るし、その(うえ)もうどこへ()っても、()めてくれる(ところ)はなさそうだし――こんな(おも)いをして(うま)きている(くらい)なら、(いっ)(かわ)へでも()()げて、()んでしまった(ほう)がましかも()れない」
杜子春(とししゅん)はひとりさっきから、こんな()りとめもないことを(おも)いめぐらしていたのです。

 するとどこからやって()たか、突然(とつぜん)(かれ)(まえ)(あし)()めた、片目(かため)(すがめ)老人(ろうじん)があります。それが夕日(ゆうひ)(ひかり)()びて、(おお)きな(かげ)(もん)(おと)すと、じっと杜子春(とししゅん)(かお)()ながら、
「お(まえ)(なに)(かんが)えているのだ」と、横柄(おうへい)(ことば)をかけました。
(わたし)ですか。(わたし)今夜(こんや)()(ところ)もないので、どうしたものかと(かんが)えているのです」
老人(ろうじん)(たず)(かた)(きゅう)でしたから、杜子春(とししゅん)はさすがに()()せて、(おも)わず正直(しょうじき)(こたえ)をしました。

「そうか。それは可哀(かあい)そうだな」
老人(ろうじん)(しばら)何事(なにごと)(かんが)えているようでしたが、やがて、往来(おうらい)にさしている夕日(ゆうひ)(ひかり)(ゆび)さしながら、
「ではおれが()いことを一つ(おし)えてやろう。(いま)この夕日(ゆうひ)(なか)()って、お(まえ)(かげ)()(うつ)ったら、その(あたま)(あた)(ところ)夜中(よなか)()って()るが()い。きっと(くるま)(いっ)ぱいの黄金(おうごん)()まっている(はず)だから」

「ほんとうですか」
杜子春(とししゅん)(おどろ)いて、()せていた()()げました。ところが(さら)不思議(ふしぎ)なことには、あの老人(ろうじん)はどこへ()ったか、もうあたりにはそれらしい、(かげ)(かたち)見当(みあた)りません。その(かわ)(そら)(つき)(いろ)(まえ)よりも(なお)(しろ)くなって、(やす)みない往来(おうらい)(ひと)(とお)りの(うえ)には、もう()(はや)蝙蝠(こうもり)二三匹(にさんびき)ひらひら()っていました。

 杜子春(とししゅん)一日(いちにち)(うち)に、洛陽(らくよう)(みやこ)でも(ただ)一人(ひとり)という大金持(おおがねもち)になりました。あの老人(ろうじん)言葉(ことば)(どお)り、夕日(ゆうひ)(かげ)(うつ)して()て、その(あたま)(あた)(ところ)を、夜中(よなか)にそっと()って()たら、(おお)きな(くるま)にも(あま)(くらい)黄金(おうごん)一山(ひとやま)()()たのです。

 大金持(おおがねもち)になった杜子春(とししゅん)は、すぐに立派(りっぱ)(うち)()って、玄宗(げんそう)皇帝(こうてい)にも()けない(くらい)贅沢(ぜいたく)(くら)しをし(はじ)めました。蘭陵(らんりょう)(さけ)()わせるやら、桂州(けいしゅう)竜眼肉(りゅうがんにく)をとりよせるやら、()四度(よんど)(いろ)(かわ)牡丹(ぼたん)(にわ)()えさせるやら、(しろ)孔雀(くじゃく)何羽(なんば)(はな)()いにするやら、(たま)(あつ)めるやら、(にしき)()わせるやら、香木(こうぼく)(くるま)(つく)らせるやら、象牙(ぞうげ)椅子(いす)(あつら)えるやら、その贅沢(ぜいたく)一々(いちいち)()いていては、いつになってもこの(はなし)がおしまいにならない(くらい)です。

 するとこういう(うわさ)()いて、(いま)までは(みち)()()っても、挨拶(あいさつ)さえしなかった(とも)だちなどが、朝夕(あさゆう)(あそ)びにやって()ました。それも一日(いちにち)(ごと)(かず)()して、半年(はんとし)ばかり()(うち)には、洛陽(らくよう)(みやこ)()()られた才子(さいし)美人(びじん)(おお)(なか)で、杜子春(とししゅん)(いえ)()ないものは、一人(ひとり)もない(くらい)になってしまったのです。杜子春(とししゅん)はこの御客(おきゃく)たちを相手(あいて)に、毎日(まいにち)酒盛(さかも)りを(ひら)きました。その酒盛(さかも)りの(また)(さかん)なことは、中々(なかなか)(くち)には(つく)されません。(ごく)かいつまんだだけをお(はなし)しても、杜子春(とししゅん)(きん)(さかずき)西洋(せいよう)から()葡萄酒(ぶどうしゅ)()んで、天竺(てんじく)(うま)れの魔法使(まほうつかい)(かたな)()んで()せる(げい)()とれていると、そのまわりには二十人(にじゅうにん)(おんな)たちが、十人(じゅうにん)翡翠(ひすい)(はす)(はな)を、十人(じゅうにん)瑪瑙(めのう)牡丹(ぼたん)(はな)を、いずれも(かみ)(かざ)りながら、(ふえ)(こと)(ふし)面白(おもしろ)(そう)しているという景色(けしき)なのです。

 しかしいくら大金持(おおがねもち)でも、御金(おかね)には際限(さいげん)がありますから、さすがに贅沢家(ぜいたくや)杜子春(とししゅん)も、一年(いちねん)二年(にねん)()(うち)には、だんだん貧乏(びんぼう)になり()しました。そうすると人間(にんげん)薄情(はくじょう)なもので、昨日(きのう)までは毎日(まいにち)()(とも)だちも、今日(きょう)(もん)(まえ)(とお)ってさえ、挨拶(あいさつ)(ひと)つして()きません。ましてとうとう三年目(さんねんめ)(はる)(また)杜子春(とししゅん)以前(いぜん)(とお)り、一文無(いちもんな)しになって()ると、(ひろ)洛陽(らくよう)(みやこ)(なか)にも、(かれ)宿(やど)()そうという(いえ)は、一軒(いっけん)もなくなってしまいました。いや、宿(やど)()すどころか、(いま)では(わん)一杯(いっぱい)(みず)も、(めぐ)んでくれるものはないのです。

 そこで(かれ)或日(あるひ)夕方(ゆうがた)、もう一度(いちど)あの洛陽(らくよう)西(にし)(もん)(した)()って、ぼんやり(そら)(なが)めながら、途方(とほう)()れて()っていました。するとやはり(むかし)のように、片目(かため)(すがめ)老人(ろうじん)が、どこからか姿(すがた)(あらわ)して、
「お(まえ)(なに)(かんが)えているのだ」と、(こえ)をかけるではありませんか。

 杜子春(とししゅん)老人(ろうじん)(かお)()ると、(はずか)しそうに(した)()いたまま、(しばら)くは返事(へんじ)もしませんでした。が、老人(ろうじん)はその()親切(しんせつ)そうに、(おな)言葉(ことば)繰返(くりかえ)しますから、こちらも(まえ)(おな)じように、
(わたし)今夜(こんや)()(ところ)もないので、どうしたものかと(かんが)えているのです」と、(おそ)(おそ)返事(へんじ)をしました。

「そうか。それは可哀(かわい)そうだな。ではおれが()いことを(ひと)(おし)えてやろう。(いま)この夕日(ゆうひ)(なか)()って、お(まえ)(かげ)()(うつ)ったら、その(むね)(あた)(ところ)を、夜中(よなか)()って()るが()い。きっと(くるま)(いっ)ぱいの黄金(おうごん)()まっている(はず)だから」
老人(ろうじん)はこう()ったと(おも)うと、今度(こんど)もまた(ひと)ごみの(なか)へ、()()すように(かく)れてしまいました。

 杜子春(とししゅん)はその翌日(よくじつ)から、(たちま)天下(てんか)第一(だいいち)大金持(おおがねもち)(かえ)りました。と同時(どうじ)相変(あいかわ)らず、()放題(ほうだい)贅沢(ぜいたく)をし(はじ)めました。(にわ)()いている牡丹(ぼたん)(はな)、その(なか)(ねむ)っている(しろ)孔雀(くじゃく)、それから(かたな)()んで()せる、天竺(てんじく)から()魔法使(まほうつかい)――すべてが(むかし)(とお)りなのです。
ですから(くるま)(いっ)ぱいにあった、あの(おびただ)しい黄金(おうごん)も、(また)三年(さんねん)ばかり()(うち)には、すっかりなくなってしまいました。

「お(まえ)(なに)(かんが)えているのだ」
片目(かため)(すがめ)老人(ろうじん)は、三度(みたび)杜子春(とししゅん)(まえ)()て、(おな)じことを()いかけました勿論(もちろん)(かれ)はその(とき)も、洛陽(らくよう)西(にし)(もん)(した)に、ほそぼそと(かすみ)(やぶ)っている三日月(みかづき)(ひかり)(なが)めながら、ぼんやり(たたず)んでいたのです。

(わたし)ですか。(わたし)今夜(こんや)()(ところ)もないので、どうしようかと(おも)っているのです」
「そうか。それは可哀(かわい)そうだな。ではおれが()いことを(おし)えてやろう。(いま)この夕日(ゆうひ)(なか)()って、お(まえ)(かげ)()(うつ)ったら、その(はら)(あた)(ところ)を、夜中(よなか)()って()るが()い。きっと(くるま)(いっ)ぱいの――」
老人(ろうじん)がここまで()いかけると、杜子春(とししゅん)(きゅう)()()げて、その言葉(ことば)(さえぎ)りました。

「いや、お(かね)はもういらないのです」
(かね)はもういらない? ははあ、では贅沢(ぜいたく)をするにはとうとう()きてしまったと()えるな」
老人(ろうじん)(いぶか)しそうな()つきをしながら、じっと杜子春(とししゅん)(かお)()つめました。

(なに)贅沢(ぜいたく)()きたのじゃありません。人間(にんげん)というものに愛想(あいそ)がつきたのです」
杜子春(とししゅん)不平(ふへい)そうな(かお)をしながら、突慳貪(つっけんどん)にこう()いました。
「それは面白(おもしろ)いな。どうして(また)人間(にんげん)愛想(あいそ)()きたのだ?」
人間(にんげん)(みな)薄情(はくじょう)です。(わたし)大金持(おおがねもち)になった(とき)には、世辞(せじ)追従(ついしょう)もしますけれど、一旦(いったん)貧乏(びんぼう)になって御覧(ごらん)なさい。(やさ)しい(かお)さえもして()せはしません。そんなことを(かんが)えると、たといもう一度(いちど)大金持(おおがねもち)になったところが、(なん)にもならないような()がするのです」

  老人(ろうじん)杜子春(とししゅん)言葉(ことば)()くと、(きゅう)ににやにや(わら)()しました。
「そうか。いや、お(まえ)(わか)(もの)似合(にあ)わず、感心(かんしん)(もの)のわかる(おとこ)だ。ではこれからは貧乏(びんぼう)をしても、(やす)らかに(くら)して()くつもりか」

 杜子春(とししゅん)はちょいとためらいました。が、すぐに(おも)()った()()げると、(うった)えるように老人(ろうじん)(かお)()ながら、
「それも(いま)(わたし)には出来(でき)ません。ですから(わたし)はあなたの弟子(でし)になって、仙術(せんじゅつ)修業(しゅぎょう)をしたいと(おも)うのです。いいえ、(かく)してはいけません。あなたは道徳(どうとく)(たか)仙人(せんにん)でしょう。仙人(せんにん)でなければ、一夜(ひとよ)(うち)(わたし)天下(てんか)第一(だいいち)大金持(おおがねもち)にすることは出来(でき)ない(はず)です。どうか(わたし)先生(せんせい)になって、不思議(ふしぎ)仙術(せんじゅつ)(おし)えて(くだ)さい」

 老人(ろうじん)(まゆ)をひそめたまま、(しばら)くは(だま)って、何事(なにごと)(かんが)えているようでしたが、やがて(また)にっこり(わらい)いながら、
「いかにもおれは峨眉山(がびさん)()んでいる、鉄冠子(てっかんし)という仙人(せんにん)だ。(はじ)めお(まえ)(かお)()(とき)、どこか(もの)わかりが()さそうだったから、二度(にど)まで大金持(おおがねもち)にしてやったのだが、それ(ほど)仙人(せんにん)になりたければ、おれの弟子(でし)にとり()ててやろう」と、(こころよ)(ねがい)()れてくれました。

 杜子春(とししゅん)(よろこ)んだの、(よろこ)ばないのではありません。老人(ろうじん)言葉(ことば)がまだ(おわ)らない(うち)に、(かれ)大地(だいち)(ひたい)をつけて、何度(なんど)鉄冠子(てっかんし)御時宜(おじぎ)をしました。

「いや、そう御礼(おれい)などは()って(もら)うまい。いくらおれの弟子(でし)にしたところが、立派(りっぱ)仙人(せんにん)になれるかなれないかは、お(まえ)次第(しだい)()まることだからな。――が、ともかくもまずおれと(いつ)しょに、峨眉山(がびさん)(おく)()()るが()い。おお、(さいわい)、ここに竹杖(たけづえ)一本(いっぽん)()ちている。では早速(さっそく)これへ()って、一飛(ひととび)びに(そら)(わた)るとしよう」

 鉄冠子(てっかんし)はそこにあった青竹(あおだけ)一本(いっぽん)(ひろ)()げると、(くち)(うち)咒文(じゅもん)(とな)えながら、杜子春(とししゅん)(いっ)しょにその(たけ)へ、(うま)にでも()るように(またが)りました。すると不思議(ふしぎ)ではありませんか。竹杖(たけづえ)(たちま)(りゅう)のように、(いきおい)よく大空(おおぞら)()(あが)って、()(わた)った(はる)夕空(ゆうぞら)峨眉山(がびさん)方角(ほうがく)()んで()きました。

 杜子春(とししゅん)(きも)をつぶしながら、(おそ)(おそ)(した)見下(みおろ)しました。が、(した)には(ただ)(あお)山々(やまやま)夕明(ゆうあか)りの(そこ)()えるばかりで、あの洛陽(らくよう)(みやこ)西(にし)(もん)は、(とうに(かすみ)(まぎ)れたのでしょう)どこを(さが)しても()(あた)りません。その(うち)鉄冠子(てっかんし)は、(しろ)(びん)()(かぜ)()かせて、(たか)らかに(うた)(うた)()しました。

     (あした)北海(ほっかい)(あそ)び、(くれ)には蒼梧(そうご)

     袖裏(しゅうり)青蛇(せいだ)胆気粗(たんきそ)なり。

     ()たび岳陽(がくよう)()れども、(ひと)()らず。

     朗吟(ろうぎん)して、飛過(ひか)洞庭湖(どうていこ)

 二人(ふたり)()せた青竹(あおだけ)は、()もなく峨眉山(がびさん)()()りました。
そこは(ふか)(たに)(のぞ)んだ、(はば)(ひろ)一枚岩(いちまいいわ)(うえ)でしたが、よくよく(たか)(ところ)だと()えて、中空(ちゅうくう)()れた北斗(ほくと)(ほし)が、茶碗(ちゃわん)(ほど)(おお)きさに(ひか)っていました。(もと)より人跡(じんせき)()えた(やま)ですから、あたりはしんと(しず)まり(かえ)って、やっと(みみ)にはいるものは、(うしろ)絶壁(ぜっぺき)()えている、(まが)りくねった一株(ひとかぶ)(まつ)が、こうこうと夜風(よかぜ)()(おと)だけです。

 二人(ふたり)がこの(いわ)(うえ)()ると、鉄冠子(てっかんし)杜子春(とししゅん)絶壁(ぜっぺき)(した)(すわ)らせて、
「おれはこれから天上(てんじょう)()って、西王母(せいおうぼ)御眼(おめ)にかかって()るから、お(まえ)はその(あいだ)ここに(すわ)って、おれの(かえ)るのを()っているが()い。多分(たぶん)おれがいなくなると、いろいろな魔性(ましょう)(あらわ)れて、お(まえ)をたぶらかそうとするだろうが、たといどんなことが(おこ)ろうとも、(けっ)して(こえ)()すのではないぞ。もし一言(ひとこと)でも(くち)()いたら、お(まえ)到底(とうてい)仙人(せんにん)にはなれないものだと覚悟(かくご)をしろ。()いか。天地(てんち)()けても、(だま)っているのだぞ」と()いました。

大丈夫(だいじょうぶ)です。(けっ)して(こえ)なぞは()しません。(いのち)がなくなっても、(だま)っています」
「そうか。それを()いて、おれも安心(あんしん)した。ではおれは()って()るから」
老人(ろうじん)杜子春(とししゅん)(わか)れを()げると、(また)あの竹杖(たけづえ)(またが)って、夜目(よめ)にも(けず)ったような山々(やまやま)(そら)へ、一文字(いちもんじ)()えてしまいました。

 杜子春(とししゅん)はたった一人(ひとり)(いわ)(うえ)(すわ)ったまま、(しずか)(ほし)(なが)めていました。するとかれこれ半時(はんとき)ばかり()って、深山(しんざん)夜気(やき)肌寒(はださむ)(うす)着物(きもの)(とお)()した(ころ)突然(とつぜん)空中(くうちゅう)(こえ)があって、
「そこにいるのは何者(なにもの)だ」と、(しか)りつけるではありませんか。
しかし杜子春(とししゅん)仙人(せんにん)教通(おしえどお)り、(なに)とも返事(へんじ)をしずにいました。

 ところが(また)(しばら)くすると、やはり(おな)(こえ)(ひび)いて、
返事(へんじ)をしないと()ちどころに、(いのち)はないものと覚悟(かくご)しろ」と、いかめしく(おど)しつけるのです。
杜子春(とししゅん)勿論(もちろん)(だま)っていました。
と、どこから(のぼ)って()たか、爛々(らんらん)()(ひか)らせた(とら)一匹(いっぴき)忽然(こつぜん)(いわ)(うえ)(おど)(あが)って、杜子春(とししゅん)姿(すがた)(にら)みながら、一声(いちこえ)(たか)(たけ)りました。のみならずそれと同時(どうじ)に、(あたま)(うえ)(まつ)(えだ)が、(はげ)しくざわざわ()れたと(おも)うと、(うしろ)絶壁(ぜっぺき)(いただき)からは、四斗樽(しとだる)(ほど)白蛇(はくだ)一匹(いっぴき)(ほのう)のような(した)()いて、()()(ちか)くへ()りて()るのです。

 杜子春(とししゅん)はしかし平然(へいぜん)と、眉毛(まゆげ)(うご)かさずに(すわ)っていました。
(とら)(へび)とは、(ひと)餌食(えじき)(ねら)って、(たがい)(すき)でも(うかが)うのか、(しばら)くは睨合(にらみあ)いの(てい)でしたが、やがてどちらが(さき)ともなく、一時(いちどき)杜子春(とししゅん)()びかかりました。が(とら)(きば)()まれるか、(へび)(した)()まれるか、杜子春(とししゅん)(いのち)(またた)(うち)に、なくなってしまうと(おも)った(とき)(とら)(へび)とは(きり)(ごと)く、夜風(よかぜ)(とも)()()せて、(あと)には(ただ)絶壁(ぜっぺき)(まつ)が、さっきの(とお)りこうこうと(えだ)()らしているばかりなのです。

 杜子春(とししゅん)はほっと一息(ひといき)しながら、今度(こんど)はどんなことが(おこ)るかと、心待(こころま)ちに()っていました。
すると一陣(いちじん)(かぜ)()(おこ)って、(すみ)のような黒雲(くろくも)一面(いちめん)にあたりをとざすや(いな)や、うす(むらさき)稲妻(いなずま)がやにわに(やみ)(ふた)つに()いて、(すさま)じく(いかづち)()()しました。いや、(いかづち)ばかりではありません。それと(いつ)しょに(たき)のような(あめ)も、いきなりどうどうと()()したのです。杜子春(とししゅん)はこの天変(てんぺん)(なか)に、(おそ)()もなく(すわ)っていました。(かぜ)(おと)(あめ)のしぶき、それから()()ない稲妻(いなずま)(ひかり)、――(しばら)くはさすがの峨眉山(がびさん)も、(くつがえ)るかと(おも)(くらい)でしたが、その(うち)(みみ)をもつんざく(ほど)(おお)きな雷鳴(らいめい)(とどろ)いたと(おも)うと、(そら)渦巻(うずま)いた黒雲(くろくも)(なか)から、まっ()一本(いっぽん)火柱(ひばしら)が、杜子春(とししゅん)(あたま)()ちかかりました。

 杜子春(とししゅん)(おも)わず(みみ)(おさ)えて、一枚岩(いちまいいわ)(うえ)へひれ()しました。が、すぐに()(ひら)いて()ると、(そら)以前(いぜん)(とお)()(わた)って、(むこ)うに(そび)えた山々(やまやま)(うえ)にも、茶碗(ちゃわん)ほどの北斗(ほくと)(ほし)が、やはりきらきら(かがや)いています。して()れば(いま)(おお)あらしも、あの(とら)白蛇(はくだ)(おな)じように、鉄冠子(てっかんし)留守(るす)をつけこんだ、魔性(ましょう)悪戯(いたずら)(ちが)いありません。杜子春(とししゅん)(ようや)安心(あんしん)して、(ひたい)冷汗(ひやあせ)(ぬぐ)いながら、(また)(いわ)(うえ)(すわ)(なお)しました。

 が、そのため(いき)がまだ()えない(うち)に、今度(こんど)(かれ)(すわ)っている(まえ)へ、(きん)(よろい)着下(きくだ)した、()(たけ)三丈(さんじょう)もあろうという、(おごそ)かな神将(しんしょう)(あらわ)れました。神将(しんしょう)()三叉(みつまた)(ほこ)()っていましたが、いきなりその(ほこ)切先(きっさき)杜子春(とししゅん)(むな)もとへ()けながら、()(いか)らせて(しか)りつけるのを()けば、

「こら、その(ほう)一体(いったい)何物(なにもの)だ。この峨眉山(がびさん)という(やま)は、天地(てんち)開闢(かいびゃく)(むかし)から、おれが住居(すまい)をしている(ところ)だぞ。それも(はばか)らずたった一人(ひとり)、ここへ(あし)()()れるとは、よもや(ただ)人間(にんげん)ではあるまい。さあ(いのち)()しかったら、一刻(いっこく)(はや)返答(へんとう)しろ」と()うのです。

 しかし杜子春(とししゅん)老人(ろうじん)言葉(ことば)(どお)り、黙然(もくねん)(くち)(つぐ)んでいました。
返事(へんじ)をしないか。――しないな。()し。しなければ、しないで勝手(かって)にしろ。その(かわ)りおれの眷属(けんぞく)たちが、その(かた)をずたずたに()ってしまうぞ」
神将(しんしょう)(ほこ)(たか)()げて、(むこ)うの(やま)(そら)(まね)きました。その途端(とたん)(やみ)がさっと()けると、(おどろ)いたことには無数(むすう)神兵(しんぺい)が、(くも)(ごと)(そら)充満(みちみ)ちて、それが(みな)(やり)(かたな)をきらめかせながら、(いま)にもここへ(ひと)なだれに()()せようとしているのです。

 この景色(けしき)()杜子春(とししゅん)は、(おも)わずあっと(さけ)びそうにしましたが、すぐに(また)鉄冠子(てっかんし)言葉(ことば)(おも)()して、一生懸命(いっしょうけんめい)(だま)っていました。神将(しんしょう)(かれ)(おそ)れないのを()ると、(おこ)ったの(おこ)らないのではありません。
「この剛情者(ごうじょうもの)め。どうしても返事(へんじ)をしなければ、約束(やくそく)(どお)(いのち)はとってやるぞ」
神将(しんしょう)はこう(わめ)くが(はや)いか、三叉(みつまた)(ほこ)(ひらめ)かせて、(ひと)()きに杜子春(とししゅん)()(ころ)しました。そうして峨眉山(がびさん)もどよむ(ほど)、からからと(たか)(わら)いながら、どこともなく()えてしまいました勿論(もちろん)この(とき)はもう無数(むすう)神兵(しんぺい)も、()(わた)夜風(よかぜ)(おと)(いっ)しょに、(ゆめ)のように()()せた(あと)だったのです。

 北斗(ほくと)(ほし)(また)(さむ)そうに、一枚岩(いちまいいわ)(うえ)()らし(はじ)めました。絶壁(ぜっぺき)(まつ)(まえ)(かわ)らず、こうこうと(えだ)()らせています。が、杜子春(とししゅん)はとうに(いき)()えて、仰向(あおむ)けにそこへ(たお)れていました。

 杜子春(とししゅん)(からだ)(いわ)(うえ)へ、仰向(あおむ)けに(たお)れていましたが、杜子春(とししゅん)(たましい)は、(しずか)(からだ)から()()して、地獄(じごく)(そこ)()りて()きました。
この()地獄(じごく)との(あいだ)には、闇穴道(あんけつどう)という(みち)があって、そこは年中(ねんじゅう)(くら)(そら)に、(こおり)のような(つめ)たい(かぜ)がぴゅうぴゅう()(すさ)んでいるのです。杜子春(とししゅん)はその(かぜ)()かれながら、(しばら)くは(ただ)()()のように、(そら)(ただよ)って()きましたが、やがて森羅殿(しんらでん)という(がく)(かか)った立派(りっぱ)御殿(ごてん)(まえ)()ました。

 御殿(ごてん)(まえ)にいた大勢(おおぜい)(おに)は、杜子春(とししゅん)姿(すがた)()るや(いな)や、すぐにそのまわりを()()いて、(きざはし)(まえ)()()えました。(きざはし)(うえ)には一人(ひとり)王様(おうさま)が、まっ(くろ)(きもの)(かね)(かんむり)をかぶって、いかめしくあたりを(にら)んでいます。これは()ねて(うわさ)()いた、閻魔(えんま)大王(だいおう)(ちが)いありません。杜子春(とししゅん)はどうなることかと(おも)いながら、(おそ)(おそ)るそこへ(ひざまず)いていました。

「こら、その(ほう)(なん)(ため)に、峨眉山(がびさん)(うえ)(すわ)っていた?」
閻魔大王(えんまだいおう)(こえ)(いかづち)のように、(きざはし)(うえ)から(ひび)きました。杜子春(とししゅん)早速(さっそく)その(とい)(こた)えようとしましたが、ふと(また)(おも)()したのは、「(けっ)して(くち)()くな」という鉄冠子(てっかんし)(いまし)めの言葉(ことば)です。そこで(ただ)(あたま)()れたまま、(おし)のように(だま)っていました。すると閻魔大王(えんまだいおう)は、()っていた(てつ)(しゃく)()げて、顔中(かおじゅう)(ひげ)逆立(さかだ)てながら、

「その(ほう)はここをどこだと(おも)う? (すみやか)返答(へんとう)をすれば()し、さもなければ(とき)(うつ)さず、地獄(じごく)呵責(かしゃく)()わせてくれるぞ」と、威丈高(いたけだか)(ののし)りました。
が、杜子春(とししゅん)相変(あいかわ)らず(くちびる)(ひと)(うご)かしません。それを()閻魔大王(えんまだいおう)は、すぐに(おに)どもの(ほう)()いて、荒々(あらあら)しく(なに)()いつけると、(おに)どもは一度(いちど)(かしこま)って、(たちま)杜子春(とししゅん)()()てながら、森羅殿(しんらでん)(そら)()(あが)りました。

 地獄(じごく)には(だれ)でも()っている(とお)り、(つるぎ)(やま)()(いけ)(そと)にも、焦熱(しょうねつ)地獄(じごく)という(ほのお)(たに)極寒(ごっかん)地獄(じごく)という(こおり)(うみ)が、真暗(まっくら)(そら)(した)(なら)んでいます。(おに)どもはそういう地獄(じごく)(なか)へ、(かわ)(がわ)杜子春(とししゅん)(ほう)りこみました。ですから杜子春(とししゅん)無残(むざん)にも、(けん)(むね)(つらぬ)かれるやら、(ほのお)(かお)()かれるやら、(した)()かれるやら、(かわ)()がれるやら、(てつ)(きね)()かれるやら、(あぶら)(なべ)()られるやら、毒蛇(どくじゃ)(のう)味噌(みそ)()われるやら、熊鷹(くまたか)()()われるやら、――その(くる)しみを(かぞ)()てていては、到底(とうてい)際限(さいげん)がない(くらい)、あらゆる責苦(せめく)()わされたのです。それでも杜子春(とししゅん)我慢強(がまんづよ)く、じっと()()いしばったまま、一言(ひとこと)(くち)()きませんでした。

 これにはさすがの(おに)どもも、(あき)(かえ)ってしまったのでしょう。もう一度(いちど)(よる)のような(そら)()んで、森羅殿(しんらでん)(まえ)(かえ)って()ると、さっきの(とお)杜子春(とししゅん)(きざはし)(した)()()えながら、御殿(ごてん)(うえ)閻魔大王(えんまだいおう)に、
「この罪人(ざいにん)はどうしても、ものを()気色(けしき)がございません」と、(くち)(そろ)えて言上(ごんじょう)しました。

 閻魔大王(えんまだいおう)(まゆ)をひそめて、(しばら)思案(しあん)()れていましたが、やがて(なに)(おも)いついたと()えて、
「この(おとこ)父母(ちちはは)は、畜生道(ちくしょうどう)()ちている(はず)だから、早速(さっそく)ここへ()()てて()い」と、一匹(いっぴき)(おに)()いつけました。

 (おに)(たちま)(かぜ)()って、地獄(じごく)(そら)()(あが)りました。と(おも)うと、(また)(ほし)(なが)れるように、二匹(にひき)(けもの)()()てながら、さっと森羅殿(しんらでん)(まえ)()りて()ました。その(けもの)()杜子春(とししゅん)は、(おどろ)いたの(おどろ)かないのではありません。なぜかといえばそれは二匹(にひき)とも、(かたち)()すぼらしい()(うま)でしたが、(かお)(ゆめ)にも(わす)れない、()んだ父母(ちちはは)(とお)りでしたから。

「こら、その(ほう)(なん)のために、峨眉山(がびさん)(うえ)(すわ)っていたか、まっすぐに白状(はくじょう)しなければ、今度(こんど)はその(ほう)父母(ちちはは)(いた)(おも)いをさせてやるぞ」
杜子春(とししゅん)はこう(おど)されても、やはり返答(へんとう)をしずにいました。
「この不孝者(ふこうもの)めが。その(ほう)父母(ちちはは)(くる)しんでも、その(ほう)さえ都合(つごう)()ければ、()いと(おも)っているのだな」

 閻魔大王(えんまだいおう)森羅殿(しんらでん)(くず)れる(ほど)(すさま)じい(こえ)(わめ)きました。
()て。(おに)ども。その二匹(にひき)畜生(ちくしょう)を、(にく)(ほね)()(くだ)いてしまえ」
(おに)どもは一斉(いっせい)に「はっ」と(こた)えながら、(てつ)(むち)をとって()(あが)ると、四方(しほう)八方(はっぽう)から二匹(にひき)(うま)を、未練(みれん)未釈(みしゃく)なく()ちのめしました。(むち)はりゅうりゅうと(かぜ)()って、(ところ)(きら)わず(あめ)のように、(うま)皮肉(ひにく)()(やぶ)るのです。(うま)は、――畜生(ちくしょう)になった父母(ちちはは)は、(くる)しそうに()(もだ)えて、()には()(なみだ)(うか)べたまま、()てもいられない(ほど)(いなな)()てました。

「どうだ。まだその(ほう)白状(はくじょう)しないか」
閻魔大王(えんまだいおう)(おに)どもに、(しばら)(むち)()をやめさせて、もう一度(いちど)杜子春(とししゅん)(こたえ)(うなが)しました。もうその(とき)には二匹(にひき)(うま)も、(にく)()(ほね)(くだ)けて、(いき)()()えに(きざはし)(まえ)へ、(たお)()していたのです。

 杜子春(とししゅん)必死(ひっし)になって、鉄冠子(てっかんし)言葉(ことば)(おも)()しながら、(かた)()をつぶっていました。するとその(とき)(かれ)(みみ)には、(ほとんど)(こえ)とはいえない(くらい)、かすかな(こえ)(つた)わって()ました。
心配(しんぱい)をおしでない。(わたし)たちはどうなっても、お(まえ)さえ仕合(しあわ)せになれるのなら、それより結構(けっこう)なことはないのだからね。大王(だいおう)(なん)(おっしゃ)っても、()いたくないことは(だま)って御出(おい)で」

 それは(たしか)(なつか)しい、母親(ははおや)(こえ)(ちが)いありません。杜子春(とししゅん)(おも)わず、()をあきました。そうして(うま)一匹(いっぴき)が、(ちから)なく地上(ちじょう)(たお)れたまま、(かな)しそうに(かれ)(かお)へ、じっと()をやっているのを()ました。母親(ははおや)はこんな(くる)しみの(なか)にも、息子(むすこ)(こころ)(おも)いやって、(おに)どもの(むち)()たれたことを、(うら)気色(けしき)さえも()せないのです。大金持(おおがねもち)になれば御世辞(おせじ)()い、貧乏人(びんぼうにん)になれば(くち)()かない世間(せけん)(ひと)たちに(くら)べると、(なん)という有難(ありがた)(こころざし)でしょう。(なん)という健気(けなげ)決心(けっしん)でしょう。杜子春(とししゅん)老人(ろうじん)(いまし)めも(わす)れて、(まろ)ぶようにその(がわ)(はし)りよると、両手(りょうて)半死(はんし)(うま)(くび)()いて、はらはらと(なみだ)(おと)しながら、「お(っか)さん」と一声(ひとこえ)(さけ)びました。…………

 その(こえ)()がついて()ると、杜子春(とししゅん)はやはり夕日(ゆうひ)()びて、洛陽(らくよう)西(にし)(もん)(した)に、ぼんやり(たたず)んでいるのでした。(かす)んだ(そら)(しろ)三日月(みかづき)()()ない(ひと)(くるま)(なみ)、――すべてがまだ峨眉山(がびさん)へ、()かない(まえ)(おな)じことです。

「どうだな。おれの弟子(でし)になったところが、とても仙人(せんにん)にはなれはすまい」
片目(かため)(すがめ)老人(ろうじん)微笑(ほほえみ)(ふく)みながら()いました。
「なれません。なれませんが、しかし(わたし)はなれなかったことも、(かえ)って(うれ)しい()がするのです」

 杜子春(とししゅん)はまだ()(なみだ)(うか)べたまま、(おも)わず老人(ろうじん)()(にぎ)りました。
「いくら仙人(せんにん)になれたところが、(わたし)はあの地獄(じごく)森羅殿(しんらでん)(まえ)に、(むち)()けている父母(ちちはは)()ては、(だま)っている(わけ)には()きません」

「もしお(まえ)(だま)っていたら――」と鉄冠子(てっかんし)(きゅう)(おごそか)(かお)になって、じっと杜子春(とししゅん)()つめました。
「もしお(まえ)(だま)っていたら、おれは即座(そくざ)にお(まえ)(いのち)()ってしまおうと(おも)っていたのだ。――お(まえ)はもう仙人(せんにん)になりたいという(のぞみ)()っていまい。大金持(おおがねもち)になることは、(もと)より愛想(あいそ)がつきた(はず)だ。ではお(まえ)はこれから(のち)(なに)になったら()いと(おも)うな」

(なに)になっても、人間(にんげん)らしい、正直(しょうじき)(くら)しをするつもりです」
杜子春(とししゅん)(こえ)には(いま)までにない()()れした調子(ちょうし)(こも)っていました。
「その言葉(ことば)(わす)れるなよ。ではおれは今日(きょう)(かぎ)り、二度(にど)とお(まえ)には()わないから」
鉄冠子(てっかんし)はこう()(うち)に、もう(ある)()していましたが、(きゅう)(また)(あし)()めて、杜子春(とししゅん)(ほう)()(かえ)ると、
「おお、(さいわい)(いま)(おも)()したが、おれは泰山(たいざん)(みなみ)(ふもと)一軒(いっけん)(いえ)()っている。その(いえ)(はたけ)ごとお(まえ)にやるから、早速(さっそく)()って()まうが()い。今頃(いまごろ)丁度(ちょうど)(いえ)のまわりに、(もも)(はな)一面(いちめん)()いているだろう」と、さも愉快(ゆかい)そうにつけ(くわ)えました。

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