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中島敦『牛人』、青空文庫

牛人 日本語記事
牛人

はじめに

 中島(なかじま)(あつし)は、病弱(びょうじゃく)身体(からだ)(かか)えながら、(かぎ)られた時間(じかん)(なか)(もの)()きに(いのち)()けた作家(さっか)です。
この作品(さくひん)には、

  1. (おろ)かに()える(もの)(なか)にこそ真理(しんり)がある
  2. 世間(せけん)価値観(かちかん)自分(じぶん)内面(ないめん)との葛藤(かっとう)
  3. (よわ)さや(おろ)かさを否定(ひてい)せず、それを(とお)して本当(ほんとう)(つよ)さを(さぐ)

など、作者(さくしゃ)自身(じしん)内在(ないざい)する(よわ)さや不安(ふあん)世間(せけん)からの評価(ひょうか)に対するコンプレックス、それでもなお「真理(しんり)」や「本物(ほんもの)()」に辿(たど)()こうとする(つよ)意志(いし)が、(かん)じられます。

登場(とうじょう)人物(じんぶつ)

叔孫(しゅくそん)(ひょう)
()国名(こくめい))の住民(じゅうみん)で、大夫(たいふ)大名(だいみょう)家老(かろう))の(しょく)

豎牛(じゅぎゅう)
(わか)(ころ)(せい)国名(こくめい))の庚宗(こうそう)地名(ちめい))で一夜(いちや)(つま)とした(おんな)との(あいだ)出来(でき)た、叔孫(しゅくそん)(ひょう)()叔孫(しゅくそん)(ひょう)(じゅ)(身分(みぶん)(たか)(ひと)のそばに(つか)えた少年(しょうねん))に(くわ)えられた。(くろ)(かお)をした傴僂(せむし)で、叔孫(しゅくそん)(ひょう)(ゆめ)()た牛男(()(うし)(くび)をつけた(おとこ))に()ている。

孟丙(もうへい)
叔孫(しゅくそん)(ひょう)(せい)大夫(たいふ)(こく)()神殿(しんでん)における長官(ちょうかん)(しょく))の(むすめ)との(あいだ)出来(でき)()豎牛(じゅぎゅう)異母(いぼ)兄弟(きょうだい)で、叔孫(しゅくそん)(ひょう)嫡男(ちゃくなん)

仲壬(ちゅうじん)
(もう)(へい)(おとうと)

杜洩(とせつ)
叔孫(しゅくそん)(ひょう)資産(しさん)全般(ぜんぱん)管理(かんり)する役割(やくわり)(にな)う。

昭公(しょうこう)
()国名(こくめい))の公職(こうしょく)仲壬(ちゅうじん)()()り、玉環(ぎょっかん)宝石(ほうせき)のついた指輪(ゆびわ))を(あた)える。

中島敦(ウィキペディア)

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中島敦作『牛人』

 ()叔孫豹(しゅくそんひょう)がまだ(わか)かった(ころ)(らん)()けて一時(いちじ)(せい)(はし)ったことがある。(みち)()北境(ほっきょう)庚宗(こうそう)()一美婦(いちびふ)()た。(にわ)かに(ねんご)ろとなり、一夜(いちや)(とも)(すご)して、さて翌朝(よくあさ)(わか)れて(せい)(はい)った。(せい)落着(おちつ)大夫(たいふ)国氏(こくし)(むすめ)(めと)って二児(にじ)()げるに(およ)んで、かつての路傍(ろぼう)一夜(いちや)(ちぎり)などはすっかり(わす)()ててしまった。

 或夜(あるよ)(ゆめ)()た。四辺(あたり)空気(くうき)重苦(おもくる)しく立罩(たちこ)不吉(ふきつ)予感(よかん)(しず)かな部屋(へや)(なか)(りょう)している。突然(とつぜん)(おと)()(へや)天井(てんじょう)下降(かこう)(はじ)める。(きわ)めて徐々(じょじょ)に、しかし(きわ)めて確実(かくじつ)に、それは(すこ)しずつ()りてくる。一刻(いっこく)ごとに部屋(へや)空気(くうき)()(よど)み、呼吸(こきゅう)困難(こんなん)になってくる。()げようともがくのだが、身体(からだ)寝床(ねどこ)(うえ)仰向(あおむ)いたままどうしても(うご)けない。()えるはずはないのに、天井(てんじょう)(うえ)真黒(まっくろ)(てん)盤石(ばんじゃく)(おも)さで()しつけているのが、()()()()(わか)る。いよいよ天井(てんじょう)(ちか)づき、()(がた)(おも)みが(むね)(あっ)した(とき)、ふと(よこ)()ると、一人(ひとり)(おとこ)()っている。(おそ)ろしく(いろ)(くろ)傴僂(せむし)で、()(ふか)(くぼ)み、(けもの)のように突出(つきで)(くち)をしている。全体(ぜんたい)が、真黒(まっくろ)(うし)()()(かん)じである。

 ぎゅう)! (われ)(たす)けよ、と(おも)わず(すくい)(もと)めると、その(くろ)(おとこ)()差伸(さしの)べて、(うえ)からのし()かる無限(むげん)(おも)みを(ささ)えてくれる。それからもう一方(いっぽう)()(むね)(うえ)(かる)()でてくれると、(きゅう)(いま)までの圧迫感(あっぱくかん)(なくな)ってしまった。ああ、()かった、と(おも)わず(くち)()したとき、()()めた。

 翌朝(よくあさ)従者(じゅうしゃ)下僕(げぼく)らを(あつ)めて一々(いちいち)(しら)べて()たが、(ゆめ)(なか)(うし)(おとこ)()(もの)(だれ)もいない。その()(せい)(みやこ)出入(でいり)する人々(ひとびと)について、それとなく()()けて()るが、それらしい人相(にんそう)(おとこ)には()えて出会(であ)わない。

 数年後(すうねんご)(ふたた)故国(ここく)政変(せいへん)(おこ)り、叔孫豹(しゅくそんひょう)家族(かぞく)(せい)(のこ)して急遽(きゅうきょ)帰国(きこく)した。(のち)大夫(たいふ)として()(ちょう)()つに(およ)んで、(はじ)めて妻子(さいし)()ぼうとしたが、(つま)(すで)(せい)大夫(たいふ)(なにがし)(つう)じていて、一向(いっこう)(おっと)(もと)()ようとはしない。結局(けっきょく)二子(にし)孟丙(もうへい)仲壬(ちゅうじん)だけが(ちち)(ところ)()た。

 或朝(あるあさ)一人(ひとり)(おんな)(きじ)手土産(てみやげ)(たず)ねて()た。(はじ)叔孫(しゅくそん)(ほう)ではすっかり見忘(みわす)れていたが、(はな)して()(うち)にすぐ(わか)った。十数年前(じゅうすうねんまえ)(せい)(のが)れる(みち)すがら庚宗(こうそう)()(ちぎ)った(おんな)である。
(ひと)りかと(たず)ねると、(せがれ)()れて()ているという。しかも、あの(とき)叔孫(しゅくそん)()だというのだ。とにかく、(まえ)()れてこさせると、叔孫(しゅくそん)はアッと(こえ)()した。
(いろ)(くろ)い・()(くぼ)んだ・傴僂(せむし)なのだ。(ゆめ)(なか)(おのれ)(たす)けた(くろ)(うし)(おとこ)にそっくりである。(おも)わず(くち)(なか)で「(ぎゅう)!」と()ってしまった。するとその(くろ)少年(しょうねん)(おどろ)いた(かお)をして返辞(へんじ)をする。叔孫(しゅくそん)一層(いっそう)(おどろ)いて、少年(しょうねん)()()えば、「(ぎゅう)(もう)します」と(こた)えた。

 母子(ぼし)ともに即刻(そっこく)引取(ひきと)られ、少年(しょうねん)(じゅ)小姓(こしょう))の一人(ひとり)(くわ)えられた。それ(ゆえ)(ちょう)じて(のち)もこの(うし)()(おとこ)豎牛(じゅぎゅう)()ばれるのである。容貌(ようぼう)似合(にあ)わず小才(しょうさい)()(おとこ)で、すこぶる(やく)には()つが、いつも陰鬱(いんうつ)(かお)をして少年(しょうねん)仲間(なかま)(たわむ)れにも(くわ)わらぬ。主人(しゅじん)以外(いがい)(もの)には笑顔(えがお)(ひと)()せない。叔孫(しゅくそん)にはひどく可愛(かわい)がられ、(ちょう)じては叔孫(しゅくそん)()家政(かせい)一切(いっさい)切廻(きりまわ)しをするようになった。

 ()(くぼ)んだ・(くち)突出(つきで)た・(くろ)(かお)は、ごく(たま)(わら)うとひどく滑稽(こっけい)愛嬌(あいきょう)()んだものに()える。こんな剽軽(ひょうきん)顔付(かおつき)(おとこ)悪企(わるだくみ)など出来(でき)そうもないという印象(いんしょう)(あた)える。目上(めうえ)(もの)()せるのはこの(かお)だ。仏頂面(ぶっちょうづら)をして(かんが)()(とき)(かお)は、ちょっと人間(にんげん)(ばな)れのした怪奇(かいき)残忍(ざんにん)さを(てい)する。儕輩(さいはい)誰彼(だれかれ)(おそ)れるのはこの(かお)だ。意識(いしき)しないでも自然(しぜん)にこの二つの(かお)使(つか)()けが出来(でき)るらしい。

 叔孫豹(しゅくそんひょう)信任(しんにん)無限(むげん)であったが、後嗣(あとつぎ)(なお)そうとは(おも)っていない。秘書(ひしょ)ないし執事(しつじ)としては無類(むるい)(かんが)えていたが、()名家(めいか)当主(とうしゅ)とは、その人品(じんぴん)からしてもちょっと(かんが)えにくいのである。豎牛(じゅぎゅう)ももちろんそれは心得(こころえ)ている。叔孫(しゅくそん)息子(むすこ)たち、(こと)(せい)から(むか)えられた孟丙(もうへい)仲壬(ちゅうじん)二人(ふたり)()かっては、(つね)慇懃(いんぎん)(きわ)めた態度(たいど)をとっている。(かれ)らの(ほう)では、幾分(いくぶん)不気味(ぶきみ)さと多分(たぶん)軽蔑(けいべつ)とをこの(おとこ)(かん)じているだけだ。(ちち)(ちょう)(あつ)いのに(たい)して嫉妬(しっと)(おぼ)えないのは、人柄(ひとがら)相違(そうい)というものに自信(じしん)をもっているからであろう。

 ()襄公(じょうこう)()んで(わか)昭公(しょうこう)(だい)となる(ころ)から、叔孫(しゅくそん)健康(けんこう)(おとろ)(はじ)めた。丘蕕(きゅうゆう)という(ところ)()りに()った(かえ)りに悪寒(おかん)(おぼ)えて寝付(ねつ)いてからは、ようやく足腰(あしこし)()たなくなって()る。病中(びょうちゅう)()(まわ)りの世話(せわ)から、病床(びょうしょう)よりの命令(めいれい)伝達(でんたつ)(いた)るまで、一切(いっさい)豎牛(じゅぎゅう)一人(ひとり)(まか)せられることになった。豎牛(じゅぎゅう)孟丙(もうへい)らに(たい)する態度(たいど)は、しかし、いよいよ(へりくだ)ってくる一方(いっぽう)である。

 叔孫(しゅくそん)寝付(ねつ)以前(いぜん)に、長子(ちょうし)孟丙(もうへい)のために(かね)()させることに()め、その(とき)()った。お(まえ)はまだこの(くに)諸大夫(しょたいふ)近附(ちかづき)になっていないから、この(かね)出来(でき)(あが)ったら、その(いわい)()ねて諸大夫(しょたいふ)饗応(きょうおう)するが()かろうと。(あき)らかに孟丙(もうへい)相続者(そうぞくしゃ)()めての(はなし)である。叔孫(しゅくそん)(やまい)()してから、ようやく(かね)出来(でき)(あが)った。孟丙(もうへい)は、かねて(はなし)のあった宴会(えんかい)日取(ひどり)都合(つごう)(ちち)()こうとして、豎牛(じゅぎゅう)にその(むね)(つう)じてもらった。特別(とくべつ)事情(じじょう)()(かぎ)り、豎牛(じゅぎゅう)(ほか)誰一人(だれひとり)病室(びょうしつ)出入(でいり)出来(でき)なかったのである。

 豎牛(じゅぎゅう)は、孟丙(もうへい)(たのみ)()けて病室(びょうしつ)(はい)ったが、叔孫(しゅくそん)には(なに)取次(とりつ)がない。すぐ(そと)()()孟丙(もうへい)()かい、主君(しゅくん)言葉(ことば)として出鱈目(でたらめ)()にち(、、)指定(してい)する。指定(してい)された()孟丙(もうへい)賓客(ひんきゃく)(まね)(さか)んに饗応(きょうおう)して、その()(はじ)めて(あたら)しい(かね)()った。

 病室(びょうしつ)でその(おと)()いた叔孫(しゅくそん)(あや)しんで、あれは(なん)だと()く。孟丙(もうへい)(いえ)(かね)完成(かんせい)(いわ)(えん)(もよお)され多数(たすう)(きゃく)()ている(むね)を、豎牛(じゅぎゅう)(こた)える。(おれ)(ゆるし)()ないで勝手(かって)相続人(そうぞくにん)(づら)をするとは何事(なにごと)だ、と病人(びょうにん)顔色(かおいろ)()える。それに、(きゃく)(なか)には(せい)にいる孟丙(もうへい)殿(どの)母上(ははうえ)関係(かんけい)方々(かたがた)遥々(はるばる)()えているようです、と豎牛(じゅぎゅう)附加(つけくわ)える。不義(ふぎ)(はたら)いたかつての(つま)(はなし)持出(もちだ)すといつも叔孫(しゅくそん)機嫌(きげん)()()(わる)くなることを、()承知(しょうち)しているのだ。病人(びょうにん)(いか)って立上(たちあ)がろうとするが、豎牛(じゅぎゅう)()きとめられる。身体(からだ)(さわ)ってはいけないというのである。(おれ)がこの(やまい)()()()()()ぬものと()めて()かって、もう勝手(かって)真似(まね)(はじ)めたのだなと歯咬(はが)みをしながら、叔孫(しゅくそん)豎牛(じゅぎゅう)(めい)ずる。(かま)わぬ。引捕(ひっと)らえて(ろう)に入れろ。抵抗(ていこう)するようなら打殺(うちころ)しても(よろし)い。

 (えん)(おわ)り、(わか)叔孫(しゅくそん)()後嗣(あとつぎ)(こころよ)(しょ)賓客(ひんきゃく)(おく)()したが、翌朝(よくあさ)(すで)屍体(したい)となって(いえ)裏藪(うらやぶ)()てられていた。

 孟丙(もうへい)(おとうと)仲壬(ちゅうじん)昭公(しょうこう)近侍(きんじ)(なにがし)(した)しくしていたが、一日(いちじつ)(とも)公宮(こうきゅう)(たず)ねた(とき)、たまたま(こう)()(とま)った。二言(ふたこと)三言(みこと)、その下問(かもん)に答えている(うち)に、()()られたと()え、(かえ)りには(した)しく玉環(ぎょっかん)(たま)わった。大人(おとな)しい青年(せいねん)で、(おや)にも()げずに()()びては(わる)かろうと、豎牛(じゅぎゅう)(つう)じて病父(びょうふ)にその名誉(めいよ)事情(じじょう)()玉環(ぎょっかん)()せようとした。(ぎゅう)玉環(ぎょっかん)受取(うけと)って(うち)(はい)ったが、叔孫(しゅくそん)には(しめ)さない。仲壬(ちゅうじん)()たということさえ(はな)さぬ。(ふたた)(そと)()()()った。父上(ちちうえ)には大変(たいへん)御喜(およろこ)びですぐにも()()けるようにとのことでした、と。

 仲壬(ちゅうじん)はそこで(はじ)めてそれを()()びた。数日後(すうじつご)豎牛(じゅぎゅう)叔孫(しゅくそん)(すす)める。(すで)孟丙(もうへい)()以上(いじょう)仲壬(ちゅうじん)後嗣(あとつぎ)()てることは()まっている(ゆえ)(いま)から主君(しゅくん)昭公(しょうこう)御目通(おめどお)りさせては如何(いかが)
叔孫(しゅくそん)がいう。いや、まだそれと()めた(わけ)ではないから、(いま)からそんな必要(ひつよう)はない。
しかし、と(ぎゅう)言葉(ことば)(かえ)す。父上(ちちうえ)思召(おぼしめし)はどうあろうと、息子(むすこ)(ほう)では勝手(かって)にそう()()んで、もはや直接(ちょくせつ)君公(くんこう)御目通(おめどお)りしていますよ。
そんな莫迦(ばか)(こと)があるはずは()いという叔孫(しゅくそん)に、それでも近頃(ちかごろ)仲壬(ちゅうじん)君公(くんこう)から拝領(はいりょう)したという玉環(ぎょっかん)()びていることは(たし)かですと(ぎゅう)()()う。
早速(さっそく)仲壬(ちゅうじん)()ばれる。()たして玉環(ぎょっかん)()びている。(こう)からの(いただ)きものだという。(ちち)()かぬ身体(からだ)(とこ)(うえ)()こして(いかっ)った。息子(むすこ)弁解(べんかい)(なに)(ひと)()かれず、すぐにその()退(しりぞ)いて謹慎(きんしん)せよという。

 その()仲壬(ちゅうじん)はひそかに(せい)(はし)った。

 (やまい)次第(しだい)(あつ)くなり、焦眉(しょうび)問題(もんだい)として真剣(しんけん)後嗣(あとつぎ)のことを(かんが)えねばならなくなった(とき)叔孫豹(しゅくそんひょう)はやはり仲壬(ちゅうじん)()ぼうと(おも)った。豎牛(じゅぎゅう)にそれを(めい)ずる。(めい)()けて()ては()ったが、もちろん(せい)にいる仲壬(ちゅうじん)使(つかい)()しはしない。さっそく仲壬(ちゅうじん)(もと)使(つかい)(つか)わしたが非道(ひどう)なる(ちち)(ところ)へは二度(ふたど)(もど)らぬという返辞(へんじ)だったと復命(ふくめい)する。

 この(ごろ)になってようやく叔孫(しゅくそん)にも、この近臣(きんしん)(たい)する(うたが)いが()いて()た。(なんじ)言葉(ことば)真実(しんじつ)か? と(きつ)として()(かえ)したのはそのためである。
どうして(わたし)(いつわり)など(もう)しましょう、と(こた)える豎牛(じゅぎゅう)(くちびる)(はし)が、その(とき)(あざけ)るように(ゆが)んだのを病人(びょうにん)()た。こんな(こと)はこの(おとこ)(やしき)()てから(まった)(はじ)めてであった。カッとして病人(びょうにん)起上(おきあが)ろうとしたが、(ちから)()い。すぐ打倒(うちたお)れる。その姿(すがた)を、(うえ)から、(くろ)(うし)のような(かお)が、今度(こんど)こそ明瞭(めいりょう)侮蔑(ぶべつ)()かべて、冷然(れいぜん)見下(みおろ)す。儕輩(さいはい)部下(ぶか)にしか()せなかったあの残忍(ざんにん)(かお)である。
家人(かじん)(ほか)近臣(きんしん)()ぼうにも、(いま)までの習慣(しゅうかん)でこの(おとこ)()()ないでは誰一人(だれひとり)()べないことになっている。その()(びょう)大夫(たいふ)(ころ)した孟丙(もうへい)のことを(おも)って口惜(くや)()きに()いた。

 (つぎ)()から残酷(ざんこく)所作(しょさ)(はじ)まる。病人(びょうにん)(ひと)(せっ)するのを(きら)うからとて、食事(しょくじ)膳部(ぜんぶ)(もの)次室(じしつ)まで(はこ)んで()き、それを豎牛(じゅぎゅう)病人(びょうにん)枕頭(ちんとう)()って()るのが(なら)わしであったのを、(いま)やこの侍者(じしゃ)病人(びょうにん)(しょく)(すす)めなくなったのである。
差出(さしだ)される食事(しょくじ)はことごとく自分(じぶん)(くら)ってしまい、()()だけをまた()して()く。膳部(ぜんぶ)(もの)叔孫(しゅくそん)()べたことと(おも)っている。病人(びょうにん)(うえ)(うった)えても、(うし)(おとこ)(だま)って冷笑(れいしょう)するばかり。返辞(へんじ)さえもはやしなくなった。(だれ)(たすけ)(もと)めようにも、叔孫(しゅくそん)には()えて手段(しゅだん)()いのである。

 たまたまこの(いえ)(さい)たる杜洩(とせつ)見舞(みまい)()た。病人(びょうにん)杜洩(とせつ)(むか)って豎牛(じゅぎゅう)仕打(しうち)(うった)えるが、日頃(ひごろ)信任(しんにん)承知(しょうち)している杜洩(とせつ)冗談(じょうだん)(かんが)えて()()()取合(とりあ)わない。叔孫(しゅくそん)がなおも(あま)真剣(しんけん)(うった)えると、今度(こんど)熱病(ねつびょう)のため心神(しんしん)(さく)(らん)したのではないかと、いぶかる(ふう)である。豎牛(じゅぎゅう)もまた(よこ)から杜洩(とせつ)目配(めくばせ)して、(あたま)惑乱(わくらん)した病者(びょうしゃ)にはつくづく(こま)()てたという表情(ひょうじょう)()せる。

 しまいに、病人(びょうにん)はいら()って(なみだ)(なが)しながら、()(おとろ)えた()(かたわら)(けん)()し、杜洩(とせつ)に「これであの(おとこ)(ころ)せ。(ころ)せ、(はや)く!」と(さけ)ぶ。どうしても自分(じぶん)狂者(きょうしゃ)としてしか(あつか)われないことを()ると叔孫(しゅくそん)(おとろ)()った身体(からだ)(ふる)わせて号泣(ごうきゅう)する。杜洩(とせつ)(ぎゅう)()見合(みあわ)せ、(まゆ)をしかめながら、そっと(へや)()る。(きゃく)()ってから(はじ)めて、(うし)(おとこ)(かお)会体(えたい)()れぬ(えみ)(かす)かに()かぶ。

 (うえ)(つか)れの(なか)()きながら、いつか病人(びょうにん)はうとうとして(ゆめ)()た。いや、(ねむ)ったのではなく、幻覚(げんかく)()ただけかも()れぬ。重苦(おもくる)しく(よど)んだ・不吉(ふきつ)予感(よかん)()ちた部屋(へや)空気(くうき)(なか)に、ただ(ひと)(ともしび)(おと)()()えている。(かがや)きの()い・いやに(しろ)っぽい(ひかり)である。じっとそれを()ている(うち)に、ひどく遠方(えんぽう)に――十里(じゅうり)二十里(にじゅうり)彼方(かなた)にあるもののように(かん)じられて()る。

 ()ている真上(まうえ)天井(てんじょう)が、いつかの(ゆめ)(とき)(おな)じように、徐々(じょじょ)下降(かこう)(はじ)める。ゆっくりと、しかし確実(かくじつ)に、(うえ)からの圧迫(あっぱく)(くわ)わる。(のが)れようにも(あし)(ひと)(うご)かせない。(かたわら)()ると(くろ)(うし)(おとこ)()っている。(すくい)(もと)めても、今度(こんど)()()べてくれない。(だま)ってつッ()ったまま()()()(わら)う。絶望的(ぜつぼうてき)哀願(あいがん)をもう一度(いちど)繰返(くりかえ)すと、(きゅう)に、(おこ)ったような(かた)表情(ひょうじょう)(かわ)り、(まゆ)(ひと)(うご)かさず凝乎(じつ)見下(みおろ)す。(いま)(むね)真上(まうえ)(おお)いかぶさって()真黒(まっくろ)(おも)みに、最後(さいご)悲鳴(ひめい)()げた途端(とたん)に、正気(しょうき)(かえ)った。……

 いつか(よる)(はい)ったと()え、(くら)部屋(へや)(すみ)(しろ)っぽい(ともしび)(ひと)つともっている。(いま)まで(ゆめ)(なか)()ていたのはやはりこの(ともしび)だったのかも()れない。(かたわら)見上(みあ)げると、これまた(ゆめ)(なか)()()()()豎牛(じゅぎゅう)(かお)が、人間(にんげん)(ばな)れのした冷酷(れいこく)さを(たた)えて、(しず)かに見下(みおろ)している。その(かお)はもはや人間(にんげん)ではなく、真黒(まっくろ)原始(げんし)混沌(こんとん)()()やした一個(いっこ)(もの)のように(おも)われる。叔孫(しゅくそん)(ほね)(ずい)まで(こお)(おも)いがした。(おのれ)(ころ)そうとする一人(ひとり)(おとこ)(たい)する恐怖(きょうふ)ではない。むしろ、世界(せかい)のきびしい悪意(あくい)といったようなものへの、(へりくだ)った(おそ)れに(ちか)い。もはや先刻(せんこく)までの(いかり)運命的(うんめいてき)畏怖感(いふかん)圧倒(あっとう)されてしまった。(いま)はこの(おとこ)刃向(はむか)おうとする気力(きりょく)()せたのである。

 三日(みっか)(のち)()名大夫(めいたいふ)叔孫豹(しゅくそんひょう)()えて()んだ。

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