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[001] 英語学習で効果的な文法習得|英会話スキルとコミュニケーション向上法

英語学習で効果的な文法習得について 日本語記事
英語学習で効果的な文法習得
あいさつ

こんにちは!
スローライフ【夢と希望】の窓へようこそ!
楽しい嬉しい気持ちがスローライフ!  [コンセプト]

このブログの管理人です。
それではゆっくりとご覧ください。

皆さんは、次のような経験をお持ちではないでしょうか?

  • 英語を何年も勉強しているのに、話せるような気がしない。
  • 「地震が私の家の塀を壊した」というべきところを「私の家の塀が地震を壊した」と言ってしまった。
  • 自分の話すことばかりに気をとられ、相手の話したことが頭に残っていない。

でも安心して下さい。

この記事を読むことにより、

  1. 英文法の重要性が分かる!
  2. 英文法はなぜ苦手なのかが分かる!
  3. 英文法を効率的に学習する方法が分かる!
  4. 自分に合った学習方法を見つけることが出来る!
  5. [参考記事] 時代に翻弄された英語の先駆者たち!

など他では知ることのできない情報を満載しております。

ぜひじっくりとご覧ください。

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はじめに

はじめに

現代の私たちは、この記事の最後に示すような人々のように、数奇な運命により英語を学習することはないでしょう。

幸い私たちは、小学校から大学まで英語を学ぶ機会に恵まれています。

それにもかかわらず多くの日本人が英会話をとても苦手としているのはなぜでしょうか?

  • 日本に住んでいれば、日本語だけで不自由なく生活ができる。
  • 英語でコミュニケーションをとる必要がない人が多い。
  • 英会話の練習より、他にしたいことがたくさんある。

このような理由が人それぞれにあるでしょう。

2023年の「EF EPI」(英語能力指数)データによると、日本は世界113カ国中87位という結果でした。 引用先

  • 1位 オランダ
  • 2位 シンガポール
  • 3位 オーストリア
  • 4位 デンマーク
  • 5位 ノルウェー
  • 20位 フィリピン
  • 49位 韓国
  • 82位 中国
  • 87位 日本

このデータからも、日本人の英語力が低いことがわかります。

文部科学省は中学生が英検3級、高校生が英検準2級レベルを目標に掲げています。

同省は2020年に大幅な教育改革を行い、小学校から英語教育を必修としました。

小学3・4年生は英語に触れる体験をし、小学5・6年生は英語の授業を始めるという内容です。

従来の読み書き中心の学習から、話す聞くことを中心にした方針転換を行いました。

この成果については今後に期待が持てます。

しかし、英語の習得は依然として多くの日本人にとって難しい課題のように思えます。

その理由としては、

  • 英語を話せる人が周りに非常に少ない。
  • 英語で授業ができる日本人教師が非常に少ない。
  • 英語と日本語では、言語体系が極端に異なる。

英語は通常、主語+動詞+目的語(SVO)の順で構成されますが、日本語は主語+目的語+動詞(SOV)の順で構成されます。

英語:  SVO(主語+動詞+目的語) I speak Japanese
日本語: SOV(主語+目的語+動詞) I Japanese speak

英語は語順が厳格で、順序が違うと意味が通じなくなります。

例えば「I ate an apple」(私はリンゴを食べた)を「Ate an apple I」(食べたリンゴ私は)とすると、意味が通じなくなります。

一方、日本語は助詞があるため、語順がかなり自由です。

「食べたよ、リンゴ、私」のような倒置法が日常会話でも普通に使われます。

また、日本語では状況や環境を考慮して話すことが多く、主語が省略されることも多いです。

例えば「道路が整備された」や「感染対策が強化された」という表現には、主語が明示されていません。

しかし「道路が整備された」の主語は「その道路状況がよくわかる人たち」で「感染対策が強化された」の主語は「私たち国民」であると分かるからです。

このように、英語と日本語の言語体系には大きな違いがあるため、「日本語→英語」「英語→日本語」と単純にはいかない難しさがあります。

最終的には、英語を英語で考える能力を育てることが最も英語教育においては重要と考えられます。

そのためにも、英文法の理解は必要ですが、それはあくまでツールであり、ツールを知ることが最終目的ではないことを理解しておくべきです。

英文法は英語の骨格を作り、単語という筋肉を支えます。

このツールを理解することで、未知の単語に出会っても推測しやすくなり、英文の意味を捉えやすくなります。

そして、英語で話したり、小説や映画を楽しんだりすることが英語学習の最終目標であることを常に意識することが大切です。

それでも、やはり英文法は難しい

それでも、やはり英文法は難しい

英語を学ぶ目標や必要な英文法のレベルは、人それぞれ異なります。

たとえば、日常会話のレベルであれば、中学校で学ぶ基礎的な英文法で十分だと言われています。

しかし、ビジネス英語を使う場合には、TOEICなどの試験に対応する高度な英文法の知識が求められるでしょう。

どちらの場合も、自分の目標に応じて、必要な英文法のレベルを設定することが重要です。

英文法は、英語の骨格を理解し、単語という筋肉を支えるためのツールです。

この認識を持つことが大切です。

文法用語や規則が難しく覚えにくい

英文法の本を開くと、専門的な言葉やルールがたくさん詰まっています。

これらを理解しても、それは日本語の中での理解に過ぎず、実際の場面で応用するのは難しいことが多いです。

学校での英語教育は、依然としてテストや受験対策に重点を置いています。

そのため、問題形式の学習が中心となり、ネイティブスピーカーでも難しいと感じるような問題に取り組むことがあります。

テストで良い成績を取ったとしても、それが実際のコミュニケーション能力の向上に直結しているわけではありません。

真面目な人ほど、頑張っても期待した成果が出ないことに挫折感を抱き、英語の勉強を続けるのが難しくなることがあります。

また、間違えることを恐れ、正確に話すことが不安になり、積極的にコミュニケーションを取ることができなくなります。

英語を学べば学ぶほど、知識ばかりが先行し、間違いを恐れる気持ちが強くなり、英語を楽しむことができなくなってしまいます。

このような状況では、本来楽しむべき英語の学習が苦痛に感じられるようになってしまうでしょう。

効率的な英語の勉強法

効率的な英語の勉強法

自分の目標を明確にし、その目標に合った教材を選びましょう。

これが効率的な学習を始めるための第一歩です。

もし英語を初級レベルからやり直すのであれば、中学レベルの英文法教材から始めるのが最適です。

ただし、選んだ教材を無理に暗記する必要はありません。

大切なのは、同じ教材を何度も繰り返して見ることです。

繰り返し学習することで、教材に自然に慣れていき、暗記に頼らずに知識が頭に浸透していくようになります。

これが最も効果的な学習方法です。

英語を実践的に効率よく学ぶためには、次のポイントを意識しましょう。

英文法が浸み込んできたら、実際に使う練習をしましょう!

自然に頭に浸み込んだ英文法は、記憶された範囲でそのルールに基づいて英文を作れるようになります。

また、その英文法のルールに従った英文を実際の会話で使ってみたいという意欲も高まります。

このように、自然に浸み込んだ英文法の知識は、あなたにとって大きな力となり、さまざまな場面で役立つでしょう。

間違いを恐れずに、積極的に英語で話しましょう!

英文法の知識がさらに深まると、以前は思い出すのが難しかった短い文章が、自然とスムーズに出てくるようになります。

その結果、間違いを恐れずに積極的に英語で話すことができ、英語を使うことが楽しいと感じるようになります。

たとえ間違えたとしても、その経験が次回には「今度は間違えないようにしよう」と思える学びとなります。

そして、実際の会話で間違いなく言えるようになります。

間違えることは実践において重要であり、それがより大きな成長へとつながります。

まとめ

まとめ

英語学習において、文法の習得は重要ですが、それ以上に実践の中で学んだ知識を活かすことが大切です。

ここでは、効果的な学習法と成長のためのポイントをまとめました。

1. 文法の自然な浸透
英語の文法を無理に暗記するのではなく、何度も繰り返し教材に触れることで、自然と頭に浸み込ませる学習法が効果的です。
文法の知識が自然に体得できると、文法に沿った文章がスラスラと出てくるようになります。

2. 実践での応用
自然に浸透した文法知識は、実際の会話でも積極的に使えるようになります。
最初は簡単な文章でも、実践の場で使ってみることで、自信を持って英語を話せるようになるでしょう。
この段階で、文法に頼るのではなく、実際に使ってみることで英語力が飛躍的に向上します。

3. 間違いを恐れない姿勢
英語学習において、間違えることは成長のための重要なステップです。
間違いを経験することで、次回は同じミスをしないように記憶され、結果としてより正確な英語が話せるようになります。
間違いを恐れず、積極的に挑戦することが、英語力の向上に繋がります。

4. 継続的な挑戦
英語学習は一朝一夕で成果が出るものではありません。
文法の知識を強化し、実践で使い続けることで、徐々に上達していきます。
継続的な挑戦が、最終的には大きな成果を生み出します。

以上のように英語を学ぶ上で、文法の知識は確かに重要ですが、それ以上に実際のコミュニケーションの場で活用することが大切です。

間違えることを恐れず、積極的に英語を使うことで、楽しさを感じながら学ぶことができます。

そして、その過程で得られる経験や学びが、あなたの英語力を大きく成長させることになります。

英語学習において、挑戦し続ける姿勢こそが、最も重要な成功への鍵となります。

是非継続的に頑張りましょう!

[参考記事]時代に翻弄された英語の先駆者たち

ウイリアム・アダムス

ウイリアム・アダムス

ウィリアム・アダムスは、イギリスのケント州で1564年に生まれた人物で、日本に来た最初のイギリス人として知られています。

日本では「三浦按針(みうらあんじん)」という名前で知られています。

12歳の時、アダムスは造船所で徒弟として働き始め、12年間造船や天文学、航海術を学びました。

その後、イギリス海軍の船長や北極探検などを経験しました。

34歳の時、アダムスはオランダの東洋遠征隊に参加し、主任航海士としてアジアへの航海へ出発しました。

当時の航海は非常に危険で、現地の先住民からの攻撃やマゼラン海峡での厳しい冬、さらに食料の確保が困難でした。

5隻あった船は次第に減り、最終的にアダムスが乗った1隻だけが残りました。

その船は、1600年4月、日本の大分県臼杵市(うすきし)に漂着しました。

これは、関ケ原の戦いが始まるわずか半年前のことでした。

オランダを出発してから日本に到着するまで、1年10か月がかかりました。

幸運にも、当時の日本の将軍、徳川家康はアダムスを大阪城へ招きました。

家康はアダムスの才能を見抜き、関ケ原の戦いで勝利した後、彼に江戸日本橋の屋敷を与えました。

家康はアダムスを幕府の外交顧問に任命し、家康自身も彼から数学や地理学を学びました。

また、家康の重臣たちはアダムスから砲術や航海術、天文学を学びました。

1604年、家康はアダムスに日本初の洋式帆船の建造を命じました。

アダムスは河口の砂洲を利用し、「砂ドック方式」で船を建造しました。

彼は砂浜に穴を掘り、その中に丸太を敷き、船と水路を作り、完成した船を海へ進水させました。

家康はアダムスの功績を称え、横須賀市に領地を与え、刀2本と「三浦按針」という名前を授けました。

こうして、ウィリアム・アダムスは「サムライ」となり、江戸の商人の娘、お雪と結婚し、2人の子供に恵まれました。

アダムスは日本の海洋貿易に大きな貢献をし、1620年に長崎県平戸で生涯を終えました。

彼の息子、ジョセフは父の遺言に従い、横須賀市に墓標を建てました。

この地域は現在「塚山公園」として整備され、桜の名所としても知られています。

按針の墓の隣には妻のお墓があり、国の史跡に指定されています。

また、横須賀市はアダムスの生誕地であるイギリスのメッドウェイ市と姉妹都市になっています。

ジョン万次郎

ジョン万次郎

ジョン万次郎、別名で中浜万次郎は、漁をしている最中に遭難し、アメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカへ渡った日本人です。

1827年、ジョン万次郎は高知県土佐清水市で貧しい漁師の次男として生まれました。

9歳の時に父親を亡くし、生活はさらに厳しくなり、彼は幼い頃から働き始めました。

万次郎が14歳の時、漁の途中で遭難し、仲間数人とともに数日間漂流しました。

最終的に彼らは太平洋の伊豆諸島にある無人島、鳥島にたどり着きました。

そこでサバイバル生活を送りながら、143日目にアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号が彼らを発見し、アメリカへ連れて行くことにしました。

当時の日本は鎖国状態だったため、彼らを日本に送り返すことはできませんでした。

渡米後、万次郎はアメリカでホイットフィールドという人物の養子となり、マサチューセッツ州フェアヘーブンで生活しました。

彼は学校で英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学び、優秀な成績を収めました。

卒業後、万次郎は日本に帰ることを決意し、1850年にホノルルから日本へ向けて出航しました。

翌年、鹿児島に上陸し、長い尋問を経て、12年ぶりに故郷に帰還することができました。

その後、万次郎は幕府に重宝され、中浜万次郎と名乗るようになりました。

1853年、アメリカの東インド艦隊司令長官マシュー・ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に来航し、日本に開国を迫りました。

このため、万次郎は幕府の命令で翻訳や通訳、造船の指揮、教育などのさまざまな活動に従事しました。

1860年には、日米修好通商条約の批准書交換の使節団として、ジョンは通訳や技術指導員としての任務を果たしました。

イギリスの作家ダニエル・デフォーによる小説『ロビンソン漂流記』には、主人公ロビンソンが無人島に漂流し、28年間の孤独な生活の中でさまざまな試練を乗り越える物語が描かれています。

この小説でロビンソンは、無人島で生き延びるための知恵と勇気を発揮します。

同様に、ジョン万次郎も実在の人物として、そのたくましい ライフスタイルと生き抜く力が感じられます。

伊藤博文

伊藤博文

伊藤博文は、その優れた英語力が評価され、後に日本の内閣総理大臣に選ばれた人物です。

また、彼は1963年に発行された日本銀行券の千円札の肖像モデルにもなっています。

1864年8月、イギリス、フランス、アメリカ、オランダの四国連合艦隊が、外国船を攻撃されたことへの報復として、長州藩を襲撃しました。

その際、伊藤博文は通訳としてたった一人で連合艦隊の旗艦に乗り込み、和平交渉を行いました。

1871年、アメリカに使節団が派遣された際、伊藤博文は副使として同行し、サンフランシスコで行われた歓迎会で英語によるスピーチを行いました。

このスピーチは非常に高く評価され、彼の英語力の高さが広く知られることになりました。

1895年、『ニューヨーク・トリビューン』紙に、伊藤博文が銀行家ヘンリー・クルーズに宛てた手紙が掲載されました。

また、日露戦争が勃発した1904年にも、彼の手紙が『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されました。

このように、彼の英作文能力はアメリカの新聞にも掲載されるほどのものでした。

彼の手紙では、「日本は自国の利益のためだけでなく、公正な貿易を実現するために戦っている」と述べられています。

伊藤博文が英語を習得するきっかけとなったのは、彼がイギリスに留学したことでした。

1863年9月から1864年3月まで、彼はロンドンに滞在し、ユニバーシティ・カレッジの教授アレクサンダー・ウィリアムソンの家に下宿しました。

わずか半年間で、伊藤は日常会話に困らないほどの英語力を身につけ、帰国後も新しい洋書や英字新聞を購読する習慣を続けました。

こうして、伊藤博文は国際性を持つ政治家として活躍し、最終的には日本の内閣総理大臣にまで上り詰めたのです。

津田梅子

津田梅子

2024年7月に発行された新しい五千円札には、日本の女子教育に生涯を捧げた津田梅子の肖像が描かれています。

津田梅子は、1871年に日本の女子留学生として初めてアメリカへ渡りました。

当時、彼女はわずか6歳でした。

アメリカでは、日本弁務使館の書記であるチャールズ・ライマン夫妻のもとで、実の娘のように大切に育てられました。

1882年に梅子は日本に帰国しましたが、その時点で彼女はほとんど日本語を話すことができませんでした。

その後、1889年に彼女は再びアメリカへ留学し、ブリンマー大学で学びました。

卒業後、梅子は「日本の女性たちのために良い学校を作る」という強い使命感を抱いて帰国し、津田塾大学の基礎を築きました。

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